正月太りと運動不足で、単独行の小生にとっては、体力に若干の不安もあり、奥武蔵の低山を選択。
埼玉県小川町にある官ノ倉山に行く事にしました。
車を小川町民会館に駐車し、小川町駅から東武東上線で次駅東武竹沢方面まで下ります。東武竹沢駅から官ノ倉山を目指し、駐車場に戻るコースです。
ところで三角測量一人旅と言うからには官ノ倉山には三角点があるのでしょうか。
ありません。
国土地理院の行う基本測量の基準点(現在の測地成果が得られる三角点、現在は使用されていないがかつて使用されていた三角点)はありませんが、現地に行ったら小川町が行った地籍調査の図根三角点がありました。

と言う訳で今回は三角点の探訪ではありませんが、三角測量一人旅番外編として報告します。
11時15分頃だったか東武東上線東武竹沢駅に到着、結構きれいな駅でした。乗降客は小生一人です。


南口でしょうか、駅前ロータリーがない方にでます。駅を出て道案内に従って、官ノ倉山方面に進みます。国道254号線を横断し、右に安照寺を見ながら、舗装道を進みます。


途中記念碑がありました。 地籍調査が完了した際の記念碑です。小生の住む入間市でも地籍調査は実施されていますが、記念碑までは作りません。(記念碑を造るには結構、金が係るのにと思いながら)地域住民の汗血の結晶なのでしょうか。
舗装された平らな里道をしばらくのんびり歩いてゆくと三光神社前の分岐にたどり着きます。
分岐を左に入ります。


分岐を左に入ると、左に水路があり、緩やかな登り道になります。左の高台に休憩所(東屋)が見えます。分岐を左に行くと天王池です。


天王池の道を入ります。いよいよ山道です。
山道は杉、檜の生えたうす暗いジグザグ道で、いよいよ登りがきつくなってきました。
この冬の寒さで汗をかくどころではなかったのですが、この上り坂で汗が出てきました。


先ほどの地籍調査の記念碑の件ですが、山の中まで地籍調査が実施された証がいたる所にあります。
ジグザグをきって登り切ると官ノ倉峠に出ます。 山中に入ってそんなに長い道のりではありません。結構あっけなく峠に到着と言ったところです。

峠を案内標識に従って、官ノ倉山山頂を目指します。山頂手前は急勾配な岩場です。
この辺は東秩父村との境界付近なのでしょうか。東秩父村の境界標識が、急勾配の岩場に設置されていました。
コンクリートの杭を運ぶだけでも大変なのに、岩場に設置するためには岩に穴を掘る道具も必要で、人力で掘るのは如何に大変か。
かつて、未踏の山頂に三角点を設置して測量をしてきた前人の偉業を現在の測量屋さんからも若干感じられる一面です。
急勾配の岩場をワンピッチで登ると官ノ倉山の山頂です。


山頂の視界は山頂周辺の樹木が伐採されていて低山にしては抜群です。最初に書いたとおり、山頂には地籍調査の基準点、地籍図根三角点が設置されていました。
最近の測量では三角測量は行わないのにどう言う訳か上位に位置する基準点を三角点と言う称号を用います。
街中を測量する街区基準点にも上位基準点には街区三角点の称号が用いられています。
山頂の樹木が伐採され見晴らしが良いのは、登山客用、観光目的では無く、地籍調査の測量の為に伐採されたのでしょう。


狭い山頂は先客「旧山ガール、旧山男)で混雑していましたが、11時30分頃だったので、お昼には若干早かったのか、すぐ隣のピーク石尊山まで移動して行きました。空いた官ノ倉山山頂で、少し早いが昼飯としましたが、この時期山頂は風が強く寒い。
寒いので昼飯を急いで食べて、小生も次のピーク石尊山に移動しました。


石尊山を後に急なく下り坂があります。 鎖場になっていました。(鎖を使うほどではありませんが)
鎖場を過ぎ、又杉、檜の暗い山中に入ります。

下り勾配が緩やかになり、道が広くなり林道になります。
北向不動尊が右に、左に水場がありました。


北向不動尊を右手上に見ながら進むと道が開け明るい里に出ました。

後は小川町の駅までこのまま里道を歩くのかと思い、意外とあっけなく山中が終わってしまったので残念、かと思いきや危うく道を間違えるところでした。駅方面は道の途中から、山中に向かって真横に折れるようです。よく見ると駅方面の標識がありました。



八幡神社でトイレ休憩をして、参道の桜並木(当たり前ですが冬なので花は咲いていません。)を通って大きな鳥居を過ぎるとあとは小川町の市街地です。


今回のルートは出発地に戻るピストンでななく、電車移動した事。三角点の探訪では無かったが、地籍調査基準点や地籍調査の碑があり、山中でも現在の測量家の存在が確認できた事。低い山にしては、山頂の展望が素晴らしかったこと。こんなことが小さな収穫でした。